2010年12月08日

第10回湖北真宗文化研究会

長浜城歴史博物館の特別展「湖北真宗の至宝と文化」のための
調査経過の報告が学芸員の太田参事からありました。

私たち世継まちづくり委員会では、研修として参加してきました。

第10回湖北真宗文化研究会

太田参事は、寺宝紹介の際、しきりに「さすが湖北十ヶ寺ですね」を連発されていました。
蓮如や教如など親鸞直系門主直筆の裏書がある方便法身尊像や十字名号が出てきたからです。

その湖北十ヶ寺とは、信長の覇権阻止に死闘を続けた湖北一向一揆の中心となる真宗寺院を言うそうです。
①福田寺(米原市長沢)
②福勝寺(長浜市大戌亥町)
③順慶寺(長浜市西上坂町)
④金光寺(長浜市十里町)
⑤淨願寺(長浜市榎町)
⑥箕浦誓願寺(米原市箕浦)
⑦眞宗寺(長浜市益田)
⑧稱名寺(長浜市尊勝寺町)
⑨内保誓願寺(長浜市内保町)
⑩中道場(授法寺)(長浜市西上坂町)

湖北一向一揆
 元亀2年(1571年)正月、信長は横山城の秀吉に北陸から大阪への通行人の取り締まり強化を指示しました。大阪本願寺を孤立させるためでしたが、これを察知した湖北十ヶ寺は浅井氏と同盟して戦うことを決めました。
 同年5月6日、浅井氏と各寺院から結集した一向衆は、信長方となっていた番場の鎌刃城を攻撃しようと、箕浦城に近い箕浦誓願寺に集結していました。その数5千でしたが、その動きを察知した秀吉はわずか百人の兵で箕浦城に向かいました。
 一向衆の多くは鋤や鍬を持った農民です。武装した秀吉軍の矢や鉄砲の餌食となり、瞬く間に湖岸サイカチ浜に追い詰められ全滅させられたのです。

 福田寺の境内には当時の一向一揆衆を供養するための万人塚があります。

Posted by kitanifarm at 19:58│Comments(0) まちづくり委員会